カッソーロ

家族と平和をこよなく愛する平凡な男の日記。だいたい、言いたいことを書いてます。

親父がLINEを始めた日

山が動いた。あまりに小さなできごとではあるが少し驚きを隠せない。まさか、あの父が70歳でスマホデビューするとは。そればかりか、LINEを始めるとは。特に時代の流れに逆らうというような勇ましさがあるわけではない。むしろ、流れを感じない男だと思っていた。そんな父が流行の波に乗るとは思いがけないできごとであった。再就職していた会社の退職に伴い、会社から支給されていた携帯電話がなくなり、母との連絡手段がなくなったことから渋々スマホを持つことにしたのだろう。母からの連絡で父がスマホを買ったこと、そしてLINEを始めたことを知った。スマホデビューだけでも驚いたが、まさかLINEを始めたとは。着実に日本もICT化が進んでいる。同じ日の夜にも兄から父がLINEを始めたとの知らせが届いた。こんなことで家族のコミュニケーションが取れるのだから幸せなことなのだろう。父は当然、使いこなせているわけもなく僕からの友達登録したことを知らせるメッセージに対して「りょうかい」という平仮名の返信と謎の不在着信が残っている。これが最後のやりとりにならないようになることは避けたいと思う。

息子が旅立った日

息子は小学5年。11歳にもなるというのに遊びに行くのにもぬいぐるみを手離さないほどの甘えん坊な性格に育ってしまった。どうして、こんな風になってしまったのだろう。

僕が甘やかし続けてしまった結果ではないかと、ひそかに反省しているのだが、愛情があふれて止まらない。学校に行っている間も息子の下校時間が待ち遠しい。

ここ最近は不安定な天候が続いている。今日も空を見上げればガラの悪そうな雲たちが居座っている。午後3時が過ぎたところに猛烈な雨が降りはじめた。ゲリラ豪雨というやつだ。

このままだと息子の下校時刻と重なってしまう。いてもたってもいられなくなった僕は立ち上がり車の鍵を手に取った。

学校の前に路駐車するわけにいかないので「えっ私も?」という驚きの表情を浮かべる妻を強引に乗せて学校へ向かう。

下校の予定時刻の数分前に到達したところ、さっきまでの雨は弱まり、ついにはやんでしまった。

しかし、どこの家でも似たようなことを考えるようで、傘を持つ親の姿がまばらにあった。校門から続々と出てくるランドセル姿の子どもの中から息子の姿を探す。

にこやかに帰宅する親子たちを見送ることおよそ1時間。ついに息子はあらわれなかった。 きっと、道中のどこかですれ違ってしまったのだろうと思うと同時に今度は早く家に帰ってやらねばという気持ちが込み上げる。

ちゃんと鍵を開けれただろうか。今頃、家で暑くないだろうか。クーラーをつけれているだろうか。飲み物を飲めているだろうか。

焦る気持ちにおされてアクセルを強く踏む。車庫には入れず自宅前に車を止め一足先に部屋に戻らせた妻からの連絡を待つ。

電話が鳴るのにそう時間はかからなかった。おそるおそる電話に出ると意外な事実が告げられた。部屋のどこにも息子の姿が見当たらない。そう、部屋にいるはずの息子の姿はそこにはなかったのだ。

代わりにあったのは友達の家に遊びに行くと書かれた手紙。電話を切った後、車内で成長したものだと感慨にふけっていたところ、妻から追加のラインが届く。 『シャワーも浴びて行ったみたい』

アハハ。

振り込みした日

これは僕の成長の話である。世間でいう当たり前を僕は知らない。たとえば、同じATMでもコンビニのそれと銀行のそれは別物だということを。そんなことは誰も教えてくれない。誰かが言った。何事も経験。 その日、僕は労働金庫の預金を楽天銀行に移したかった、つまりは振り込みを行いたかった。将来に備えて投資信託の毎月の買付額を増やすことを思い立ったのだ。そのためには買付可能額すなわち楽天銀行の預金額も増やす必要がある。およそ4年前から始めた楽天証券投資信託の評価損益つまり儲けは約1万8千円になったところだ。総額で約22万円の投資に対して1万8千円の利益になったのだから好調といえる。今や銀行の利息なんてないも同然。メインバンクでは280万円の預金に対してわずか12円というのが現実。もはや、銀行は単なる金庫のような存在だといった妻の言葉にはまったくもって同感だ。我が家のような庶民が利息に期待できる時代は二度とこないだろう。 だからこそ、預金ではなく投資という選択肢を僕は選ぶ。経済的な豊かさを目指すなら「とりあえず貯金」という慣習から脱却すべきだろう。そう、後述する一見失敗ともいえる滑稽な行動は僕の決意のあらわれでもある。

何かに突き動かされるように後先をよく考えずに近所のコンビニに向かった僕はまず、ATMで労金のキャッシュカードを使って20万円を降ろした。なぜかって、それは至って単純な話だ。画面に『振り込み』という選択ボタンがなかったからだ。残された選択肢から最も適当と考えた僕は『引き出し』を選択したのだ。引き出しの上限額である20万円を手にした僕は、ふと考える。ところで、この現金は、どうやって楽天銀行に振り込めばいいのか。やっとわずかな違和感に気づく。しかし、この違和感を取り払うかのように思考停止状態でATMと格闘する。

何かしらのボタンを押して表示された金融機関の一覧の中から楽天銀行という文字を見つけてボタンを選ぶ。すると「キャッシュカードを入れてください」と音声が流れる。先ほど入れたばかりの労金のキャッシュカードをすかさず入れる。いやいや、待て待て、そうじゃないとさすがに気づいて中止ボタンを押す。しかし、僕は楽天銀行のキャッシュカードは持っていない。正確には作っていない。

ボタンを押す、カードを入れる、中止するという無意味な所作を3回繰り返し、やっと気づいた。

オーマイガっっっ!これってもしかして、楽天銀行のキャッシュカードを使うか、労金のATMに行くかしか、振り込みできないということか。ようやく事態が飲み込めた。

2択がゴールへの道筋なのだということを知った僕は結局、改めて最寄りの労金のATMへ赴き、手数料という名の授業料550円を支払い当初の目的を果たした。そう、これは僕の成長の話である。

痩せ我慢した日

歯医者。それは恐怖の象徴である。そして、そのイメージを裏切られたことはほぼない。

診察当日は決まって、自宅の洗面台において懺悔が始まる。まるでその日までの怠慢を帳消しするかのように鏡の前に立ち入念に歯を磨く。しかし、憂鬱な気持ちは晴れない。残された最後の悪あがきといえば、鼻毛チェックくらいだ。

晴れない気持ちのまま、予約時間の数分前に処刑場に到着する。受付に診察券を預ければ、ほどなく処刑台まで案内される。緊張を隠して指定席へ。着席すると、チラリと横目に映る歪な先端をした器具の隊列が僕の恐怖を増幅させる。

これらのうち、どの凶器で調理されているのか、タオルで視界を遮られるため分からない。いや、分かったところで痛みがなくなることはない。

白衣の執行人からの『痛かったら、言ってくださいねー』という社交辞令の合図とともに始まる試練。はたして、この社交辞令どおり痛さを訴えている人はどれほどいるのだろうか。一度、全国民を対象にアンケートを取ってもらいたい。そもそも、口にものを突っ込まれた状態で何と言葉を発するのが正解なのだろうか。仮に『ふがふふふっ』と情けない声をあげれば、痛みをなくす対処をとってくれるのだろうか。

途中に挟むうがいと称した小休憩のため体を起こされる度に逃げ出したくなる。これで終わりならば、どれほど幸せか。しかし、期待も虚しく、チェアのリクライニングはゆっくりと下がっていく。再び、視界は遮られ、耳元では甲高い機械音が鳴り響く。

数十分に及ぶ痩せ我慢の結果、僕の手のひらは洪水状態だ。確実にこれだけで何カロリーか消費されているだろう。解放された時はまるで空を飛ぶことを許された鳥籠の小鳥のような気分になる。僕はスリッパを履きながら思う。性懲りもなくまた、誓いを立てる。

歯を大切にしよう!

難波のおすすめ駐車場【2時間無料】

難波で"安い"駐車場を探しているなら、なんばパークス南側にあるヤマダ電機LABIワンが絶対おすすめ!!なぜなら、ヤマダ会員であれば、駐車料金が2時間無料になるのです。

手順は至ってシンプル。レジの店員さんに会員証を提示して、QRコード入りのレシートのようなペラペラのサービス券をもらうだけ。僕の場合はスマホヤマダ電機のアプリをダウンロードしてるのでアプリを立ち上げて、それを見せるだけ。 しかも、なんと買い物の有無に関わらずサービス券をもらえます。もらったサービス券を帰りに精算機にかざせば、これで割引処理は完了。

駐車代が浮いた分、少し贅沢なランチもできそうです。

なんとも、ありがたや〜!

岩手県でコロナ感染

そりゃ出るよ。こんだけ流行してるんだから。生きていくうえで、人と人との接触は避けれない。誰かを支えたり、支えられたりして世の中が成り立ってるんだから。

意図せず感染しちゃう人は、なーーーんにも悪くない。にもかかわらず、こぞって初の感染だとか、最多数を更新しただとか、まるでめでたいことかのように過剰に取り上げるメディアのなんとお下劣なことか。

毎日毎日コロナばっかり。お前らもっと他にやることねえのか。これ以上、不安を煽ってどうすんだ。一日ひとつは心が温まるような話題を流せバカヤロー。人間は感動という感情に最も共感して、勇気を与えられる生き物なんだよ。

毎日、不安でゴールが見えない時だからこそ、明るい話題を発信してくれよ!頼んます!

大事なことに気づいた

堀江貴文さんの時間革命って本にやたら共感してしまった。仕事や人生に悩んでいる方に、めちゃくちゃおすすめの一冊。特に自分らしく生きたいと思ってるビジネスマンにはぜひ読んで欲しい。

時間の使い方というか、人生の楽しみ方を言い当てられた感じ。

要約すると、人生の質を高めるためには、自分のための時間を増やして、他人のための時間を削ること。そのためには、自分の本能に正直になって、他人に嫌われることを恐れないことが大事だってことが書いてある。

自分のための時間とは、自分がしたいことに使う時間。楽しいと思えることや夢中になれることに費やす時間。

他人のための時間とは、他人の期待に応えるために、したくないことや得意でないことに費やしてしまっている時間。いわば搾取されている時間。

僕の今の毎日ってまさにこれ。他人のための時間がほぼ占めているってことに気づかされてしまった。僕の人生のはずなのに、他人の人生を、生きちまってるってことか。どうりでワクワクしないわけだ。

もっと、シンプルに自分の本能に正直になればいいのに、それをおろそかにして、くだらないプライドを守るために、やりたくもない、得意でもないことに毎日、没頭して疲弊している。無価値な人生だ。このままじゃいけない。自分の人生を取り戻そう。

本の中に出てくる「タイムイズライフ」って言葉が心に刺さった。タイムイズマネーじゃなくて「タイムイズライフ」。時間はもっと尊いってこと。お金がなくなることよりも、時間を奪われることの方がヤバい。

時間を搾取されていることに早く気づくべきだった。

どうして他人の期待を満たす生き方を過ごしてきたのか。

その理由を堀江さんは本の中でこう、指摘している。人から嫌われるのが怖いから。見放されるのが怖いから。

ほんと、それ。まずは、ここから見直そう。 そして僕は仕事を休むことにした。 人生における少し大きめの句読点を打つことに決めたんです。

自分は強い人間だと思っていた。いや、思いたかったのかもしれない。常に前向きにどんな困難にも不屈の闘志で立ち向かえる勇者のように、まるでドラクエで敵と出会った時には『戦う』の一択で『逃げる』を選ぶことを弱虫のように捉えてきた。 だけど、本当の勇者は自分の戦闘能力を見極めることができ、ときには『逃げる』を選ぶことが目的を成し遂げる方法だと知っている者を指すのかもしれない。 自分と運命を共にするパーティ(仲間)がいるのであれば、尚更のことだ。僕には何よりも大切な家族がいる。 危うく選択を間違えるところだった。逃げることは間違えではない時もある。むしろ、見方を変えれば全力で逃げる姿はカッコいいのかもしれない。そんなふうに今は思う。